ダニーのラボ

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20240430_『万物の黎明』第6~7章

 グレーバー&ウェングロウ著『万物の黎明』をGW中に一読できないだろうかと思っていますが、なかなか進みません。この本はほんとうに面白くて、ページをめくりながら心臓がドキドキしています。

 本書の主眼は歴史時代以前の人類史。ユヴァル・ノア・ハラリやジャレド・ダイアモンドを代表とする、従来のビッグヒストリーを覆すことを試みています。すなわち、人類の進歩史観を放棄し、人類社会は先史時代の時点ですでに十分成熟していた、という見方を提示します。最新の考古学と人類学の知見を集めると、先史時代における何千年もの期間、人類は驚嘆すべき社会実験を繰り返してきたことが分かってきます。

 当時の人類社会は大変に自由度が高く、国家をつくっては壊し、コミュニティを作っては放棄し、といったようなことを短期間のうちに何度も行ったりしていた。言い換えれば、自由に友達を作る、社会をつくる、そして気が合わなかったり、しんどくなれば、そこから逃げることもできる。このように先史時代の人々が持っていた、ソーシャルな意味での自由というものが、現代においてはなくなってしまった、というのです。

 人間はバカだから、政府を作ってルールを設けて、そうしないと平穏な日常生活を送ることはできないんだ。窮屈な文明社会の必然を説いたのはルソーであり、ホッブズであり、そしてそうした人間観は、旧約聖書における楽園追放のリフレインだったのです。

 どうして社会生活の柔軟性は、自由は失われてしまったのか。これが本書を貫く問いであり、これからの人文学が取り組むべき主要テーマなのです。著者グレーバーは生前、社会運動家でもあり、「世の中は変えられる」という確信を持っていた。本書が提示するのは、人類を自律と解放に導く歴史観といえるでしょう。人類は運命に隷従するものではない。この世界を変えたいという市民や運動家を励ますための人文学の夜明けを宣言する本だと思います。

 さてさて、この本、邦訳本が解説入れると640頁あまりもあり、しかも2段組。かなり大部の本です。驚異的なほど該博的な知識が詰め込まれ、興味深い歴史事例の宝庫です。ゆっくり数か月かけて読み進めたい気持ちだが、自分の中で人類史の大枠を早くアップデートしておきたい焦りの気持ちもあります。最初の方でついじれったく感じてしまったので、1~2章目を読み、10章目を途中まで読み、6~7章目を読みという感じで、感心のあるところから虫食い状に進んでいます。

 第6~7章は農耕に関する章。「農耕革命」という人類史の転換点をどう捉えなおすのか。3~5章を読み飛ばしているのでピンと来ていないのですが、そもそも農耕革命は人類史上さほど大きな転換というべくもない、ということが述べられていて、農業研究をかじっている者としては、おぉ!と驚愕。やはり前半を遡って読もうという気になりました(笑)。

 著者らは、ユヴァル・ノア・ハラリやジャレド・ダイアモンドを代表とする、従来のビッグヒストリーにおける農耕観を「シリアスな農耕」と呼び、批判の対象としています。代わって打ち立てられるのが「遊戯農耕 play farming」、そして「自由の生態学」です。

 シリアスな農耕史観は、1万年前の小氷期(ヤンガードリアス期)をきっかけに食糧難が発生したことから、農耕に取り組んでそれを瞬く間に広めていったといったもの。穀物の生産が貧富の差を生み、国家形成をも導いていきます。

 農耕の起源地の一つである西アジアのある地域で定住化が開始されてから、植物の馴致化が生じるまで3,000年もの歳月がかかっている。この3,000年間という期間、実験農学的に考えるとあまりに長すぎるそうなんです。本気で植物を栽培化しようとすれば、長くてもほんの200年くらいで完了してしまうのだとか。

 ということは、人類は3,000年ものあいだ、あえて農業にまじめに取り組まなかった。ふまじめに、ときに仕方なしでやってみた、という状態が何千年も続いたわけです。それはなぜかというと、狩猟・漁労のほか、交易や他のコミュニティの人たちとの付き合いを楽しむために定住しようと思ったから。農耕なんて、生業の中では優先度がかなり低かった。しかも、ある季節に植えて収穫したらその土地は放棄して、次はまたべつの場所でやってみる、なんていうこともざら。季節が変われば洪水で流されてしまう場所なんかであえて畑づくりをして、土地の囲い込みや測量をわざとやりづらくさせる戦略が採られていた、なんていう記述も出てきます。個人的には、小麦の栽培が麦の穂を取るためではなく、燃料や建材にするためだった、という指摘は、まさに目からウロコの発見です。

 農耕・牧畜のセンターとなる地域は、15~20か所も見つかっていて、それぞれが独自の歴史を歩んできたという議論もとても興味深い。これらを一緒くたにして「農耕革命」として抽象化してしまうのは過度な単純化となり、とても危険です。やはり社会科学者は歴史そのものをきちんと参照しなければならないんだと実感します。

 さてさて、ほんとうにGW中に読み終えられるのやら。授業が再開されるとまた時間がなくなるので、勉強はいまのうちです!