ダニーのラボ

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20240429_捨てる勉強法

 読書の仕方もそうだし、自分がどういう分野の研究をするか選ぼうとしている若者にもいうのだが、「好きなこと、楽しいこと」を追求するタイプの勉強もあるし、「自分がいま苦しい思いをしていて、どうしたらそこから解放されうるのか」を探求するタイプの勉強もある。

 後者を言ってもピンと来ない人がけっこういる。例を挙げると、上野千鶴子氏や落合恵美子氏などが展開するフェミニスト社会学はその典型。

 私は落合氏の『21世紀家族へ』というめっちゃ面白い本を読んで、氏のファンになってしまった。この本については授業でも紹介しているし、いろんな人にぜひ読んでもらいたい。家族のことで悩んでいる人がいたら心が楽になるはずだ。

 この本は「なぜ私は主婦なのだろう」という問いかけから始まる。主婦としてさまざまに理不尽な経験をしているが、それがどうにも理解されないし、言語化できない。そうしたモヤモヤからフェミニズムも始まったし、この本の著者もそうした気持ちが大きな動機となって、やがては家族史研究を先導する存在となっていくわけだ。

 20世紀の家族は、①男性が賃労働、女性が家事労働に就くという性別役割分業、②子どもを軸とした情緒的な絆、③硬直的な父系社会である、④核家族である、という特徴を持っている。

 こうした家族は「伝統的」とみなされがちだが、落合氏は著書の中で、こんな家族像は伝統的でも典型的でもなく、20世紀半ばという時代にたまたま広がった家族構造のパターンでしかないことを描き出した。それ以前の家族というものは、時代・地域・身分などによってもっと多様だったし、しかも柔軟性をもっていたのだ。江戸時代の東北地方のとある農村では5年以内に2割くらいの人が離婚していて、同時代のイギリスより何倍も離婚率が高かったという議論も出てくる。

 本の内容紹介になってしまうので、このへんにしておこう。落合氏の研究を、私は勝手に「捨てる型」の研究と呼んでいる。伝統とか慣習といわれてきたものが、よくよく調べてみると、ほんの数十年しか歴史がないような軽薄なものでしかないことを見破る。そして、そこから自由になる。

 苦しみの正体を知ることは、自由の第一歩だ。私がこの本から学んだことは、そういうことだ。社会の仕組みは絶対的なものではない。それは変えられるし、放っておけばそのうち勝手に壊れもする。私たちが生きる世界は、そういう程度のものから作られているのだ。

 私は高校生のとき、たまたま親に勧められた本を読んで初期仏教のファンになった。以来、知識なんて死んだらぜんぶ放棄しなければならないので、「身に着ける」ための知識に虚しさを感じるようになった。むしろ様々な偏見にまみれた世俗の知識の正体を見破ることで、自分を「武装解除」していき、身軽な心になっていくための勉強をすることに意義を感じるようになった。そういう勉強もあるのだということを若い人に知ってもらいたい。

 まあそうはいっても、所詮俗物なので、おもしろいと思った本はなにも考えずに基本的に買ってしまうし、知ること自体を楽しむ勉強も続けている。だが、たとえば家が火事にでもなって、いままで買いためた全部の本が燃えてしまったら、それはそれで身軽になるだろうな、という気持ちも大事ではないかと思う。知識なんてその程度のものだと思っておけばいい。