ダニーのラボ

ダニーが学んだことを書きます。ここに書かれることはダニー個人の見解であり、ダニーの所属先の見解とは一切関係ありません。

20240502_ダニーの夢

 Bさん(NPOの代表の方。本ブログの初投稿参照)がなさっている活動の一つで、大の大人が30人くらい集まって、自分の夢を惜しげもなく語りあうというものがあります。コロナで中断していたけど、最近場所を変えて再開され、2か月に1回くらいのペースで行われており、私も参加しています。

 再開されてからは社会人よりも地元の大学生の人たちが多数参加していて、これはゼミの内容としても有効だな、と思い、さっそく今年度のゼミに取り入れることに。いま学生たちに自分の夢について考えてもらっています。

 「このイベントで語られた夢は結果として3割くらい実現していますよ」、とBさん。これを事前に聞いていた私は、自分の将来計画を「マネーの虎」みたいにきちんと詰めて実現可能な計画として提示するのかと思っていました。

 しかし、実際に参加してみると、実現可能性というよりは「自己開示」が重要視されていることがわかってきました。みんなの前で自己開示することで、聴き手がその人の生き様や熱意といったものに共感し、エールを送ったり、知り合いとつないでくれたりして、次第に具体化されていくわけですね。

 6月下旬に私もプレゼンターとして登壇することになりました。いま何を語ろうか考えているところで、早めにBさんにアドバイスをいただこうと、下書きを作って送ってみました。

 そこで自分にとっての目下のキーワードだなと感じたのは、前回のグレーバーの著書に関する投稿で出てきた「自律」と「解放」。若干意味合いは異なるのですが。

 自律は、自分で何とかやっていく自信をつけること(むしろ「自立」なのでしょうか)。解放は、人生苦から自由になることです。私は、この二つのキーワードをモチベーションにして研究してきたし、今後も当面はそれを続けていくんじゃないかな、と思います。

 夢プレゼンイベントの内容としては、自分が「自律塾」「解放塾」と呼ぶ空想上の塾の熟成になって学ぶことを、「夢の第一段階」として発表しようと思いつきました。先生ではなく熟生。Bさんのような人生の師匠に先生をやってもらいたいところです。

 まず「自律塾」では、何か困りごとが起こっても自分の力でなんとかできるぞ、そういう自信と判断力を身に着けることを目指すプログラムが展開されます。科目は、自炊、畑仕事、山野草の採集、ものづくりDIY、防災キャンプ、家族や自分以外の誰かをケアすることについて、などです。

 このアイデアをまとめてみたときに、こうしたことをわざわざ学校のような体系で学びたいと考えてしまう自分に苦笑してしまいました。というのも、上記のようなことは普通、さまざまな遊びの中で自然と身に着けていくものではないか?と思ったからです。私は頭でっかちのガリ勉野郎なので、これを身に着けるきっかけもなければ、そういうことを一緒にできるような友達もいない。

 というわけで、自律塾の入り口にはこういう宣伝文句が掲げられています。「ここは若いころに遊びで身に着けられることをし損なった哀しい大人のための塾です」。

 つぎに「解放塾」は、「人生そんなに苦しむ必要なんてないんやで」ということに気づいていくことを目的にしています。方法としては仏教の瞑想と人文学の実践。これらはまあ自分が普段から取り組んでいることですが、仮にだれか一緒にやってくれる友人がいたら、もっと楽しくなってモチベーションが上がるかも、と思ったくらいのことです。

 瞑想とはヴィパッサナー瞑想。グーグルのマインドフルネスのもとになったんでしたっけ。一時話題になったような気がします。禅とは異なる種類の瞑想で、残念ながら日本の仏教の伝統にはない。

 GW前の講義で、リベラルアーツをやる態度として「学び捨て unlearn」が重要だよと学生に話しましたが(3つ前の投稿を参照)、私にとっての人文学の真骨頂はこれなんです。

 これも私が講師として携わるのではなく、塾生として参加したいと思います。対話的に議論しあって新たな発見にともに至るのが、いまの人文学に必要なことだと思います。研究室の中ではなく、仕事場や日常生活の身体経験から生み出される発見が人文学をさらに豊かにしていくはずなので、大学の外での学びあいが大事だと思うのです。

 以上は、ダニーの夢の第一段階です。

 私は夢プレゼンについて考えたことにより、自分がこれまで「頭を使う仕事で偉くなりたい」というモチベーションをもって人生を歩んできたことに気づきました。我ながら実に傲慢です。

 だがその背景には、ずっと「孤独感」があったのではないかと思います。小柄で貧弱な見た目のわりには、プライドが非常に高い。誰かからなおざりな扱いをされるたびに「もっとリスペクトが欲しい」という思いを強めていることを感じます。それで、大学の「先生」という権威を帯びた地位(まあ、このご時世にそんなものはないわけですが…)を目指して生きてきたのではいだろうか、と。

 Youtubeで映画評論をなさっている岡田斗司夫さんが"Joker"の映画について考察されています。Jokerはハンディキャップを抱えていて、人々からずっと対等な関係になることを拒まれて生きてきた。本当は道化師として人に笑われる存在になるのではなく、人を笑わせる存在になりたかった。人々からないがしろにされてきた人が、どうやってまともに向き合ってもらえるか。それは暴力により「恐れられること」によって達成される、というわけです。

 Jokerと自分を比較するのも、まったくもって傲慢なのですが。しかし、恐れられることで人々とかかわろうとする、ということについて、自分は心当たりがある気がする。いや、地位や肩書きで人と関わろうとする「立場主義の人」は、じつはみんなそうなのではないか。

 ダニーの夢の第二段階には、上記の気づきを踏まえた世界とのかかわり方が盛り込まれるのではないかと思います。

 第二段階というのは、Bさんからもらった課題です。「自律して、解放されたいことは分かったが、そのあと、どうしたいのか?」とBさん。そんなことは、今までに考えたことがなかった。自律と解放の課題をクリアすれば、それで自分の人生OKだろうと考えていたわけですから。人生にさらに先があるのかもしれないという想定をもって、この課題に向き合ってみたいと思います。